• ゴッホとピカソ【対照的な二人の波乱万丈人生】

2020.9.4 2020.9.22 人生

ゴッホとピカソ【対照的な二人の波乱万丈人生】

 
誰もが知る画家、ゴッホとピカソ。
この二人は画家という共通点がありますが、対照的な人生を歩みました。
今回は、共に19世紀後半に生まれたゴッホとピカソの人生についてまとめました。

プロフィール

フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ

Vincent Willem van Gogh
・1853年3月30日生まれ(37歳没)
・オランダ出身
・長男(妹:アンナ、エリーザベト、ヴィレミーナ 弟:テオドルス、コルネリス)

 
中学を中退後、グーピル商会に就職し、画商として働きました。
ですが失恋して仕事に身が入らず、クビになってしまいました。

牧師の父の影響か、宗教関係の仕事がしたくなり語学を勉強しますが、大学入学を挫折しました。
諦めきれずに伝道師学校に行くも資格を取ることができませんでした。
資格のないまま伝道師の活動を行うことにしたゴッホですが、その説いている内容を聞いた伝道師委員会がゴッホを試験的に伝道師として認めました。
貧しい人々に自分の服や持ち物を与え、自身の身なりを気にしない様子が行き過ぎていると判断され、試験期間が終わって解雇されました。

その後、挫折を繰り返してきたゴッホは27歳から画家に目覚め、活動し始めました。

 

パブロ・ピカソ

Pablo Picasso
・1881年10月25日生まれ(91歳没)
・スペイン出身
・長男(妹:ローラ)

 
※当時のスペインでは聖人や親類の名前を加えていたため、ピカソの正式な本名はびっくりするほど長いです。

パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・チプリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・ピカソ

ピカソは幼少期から天才ぶりを発揮していました。
美術教師の父、ホセがピカソに絵を教えていましたが、その父が絵を描くことをやめて絵の道具を一式あげたほど、ピカソの才能に驚かされました。

バルセロナの美術学校に入学し、コンクールにも応募していきました。
マドリードで開かれた全国展では佳作、マラガの地方展では金賞を受賞しました。

その後、マドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーに入学しましたが、新しいことが学べなかったことに失望し、中退しました。
プラド美術館に通い、名画の模写をすることで絵画の道を極めていきました。

 

作品と経済状況

ひまわり(6作品目)

ゴッホは生涯で約2,000点もの作品を残しました。
と言っても絵を描き始めたのが遅いため、10年間の作品数です。

ゴッホと言えば「ひまわり」ですが、この他にも構図が似ている絵が7作品あります。
フランス、アルル地方で、画家ゴーギャンとの共同生活をする「黄色い家」に飾るために、ユートピアの象徴、ひまわりの絵を12枚描く計画を立てました。
(花の時期が過ぎてしまったため12枚は描けませんでした)
そのひまわりの絵を見たゴーギャンは絶賛して喜びました。

生前に売れた絵は1枚(2,3枚という諸説あり)と言われています。
そのため生活も苦しく、絵具を買うお金もままならないほどでした。
弟のテオがゴッホに仕送りをし、経済的支援をしていました。

 

ゲルニカの壁画

ピカソは生涯で約15万点もの作品を残しました。
絵画のイメージが強いですが、彫刻や陶器作品も残しています。
箱根にあるピカソ美術館では「顔」という陶器の作品がたくさんあったのが印象的でした。

ピカソは作風をガラッと変えていった画家ですが、「キュビズム」と言われる新しい手法を編み出しました。
キュビズムとは、1つの角度からだけではなく、さまざまな角度から見たものを一面に描くという手法です。

代表作のゲルニカもキュビズムで描かれています。
これはスペインの空爆の悲惨さを表現した絵です。

また、ピカソは自分を売り込んだり、お金を稼ぐことに関しても天才的でした。
まだあまり知られていない頃、今で言うサクラを使って、画商に「ピカソの絵はある?」と尋ねて画商がピカソという者が最近人気が出ているのだろうかと思わせ、後日ピカソ本人が絵を持ち込んで受け入れられたという説があります。

作品を描きあげては画商を呼んで展覧会を開き、作品の背景を細かく説明したそうです。
複数人の画商を呼ぶことによって競わせたり、人は「モノ」ではなく、「物語」に心が動かされ購入するということを知っていました。

亡くなるときには資産が7,500億円もありました。

お金に関してはこちらの本が参考になります。

 

性格と人間関係

 
ゴッホは子どものときから怒りっぽく問題児で、親や先生に迷惑をかけていました。
ですが性根は家族思いで、中でも弟のテオとは喧嘩をしながらも一番の仲良しでした。

恋愛面では、好きになった人には婚約者がいたり、未亡人になったばかりのいとこに求婚したり、叶わぬ恋ばかりしていました。

子連れの娼婦と恋するも、同棲して性病をうつされ、テオに離れるよう説得されました。
それ以後もタイミングが合わず、生涯結婚することはありませんでした。

また、ゴッホは自虐的な一面がありました。
画家のゴーギャンと同居していた時期に、「お前の描く自画像の耳おかしくない?」と言われ、逆上したゴッホが自分の耳を切り落とした「耳切り事件」が起こりました。
怖くなったゴーギャンは同居を解消し、二人は以後会うことはありませんでした。

それから入院していましたが、発作のせいでなかなか絵を描くことができずにいました。

そして弟のテオが結婚して子どもができると、精神的に経済的にも支えがなくなると思い口論になりました。
後にゴッホはピストルを打ち、「みんなのためを思ってしたことなんだ」と言い残して亡くなりました。
画商であるテオは、悲しみながらもなんとかゴッホを有名にしようと絵を売ろうとしましたが、ゴッホの死後から後を追うように半年後に病気で亡くなりました。

テオの妻、ヨハンナが引き継ぎ、大規模な回顧展を開いた後に、ゴッホの知名度が上がりました。
もしゴッホが長生きしていれば、生きているうちに成功者になっていたかもしれないと思うと残念です。

 

 
一方、ピカソはかなりの寂しがりやでした。
制作しているとき以外は1人に耐えられず、友人の数も多かったそうです。

また、女性関係が凄まじく、文春が喜ぶような人でした。
ピカソの初めての恋人は人妻です。
青の時代と呼ばれる、親友が自殺したショックから暗い作品を描いていた時代のときに出会い、その恋人のおかげで、後のバラの時代に移り変わります。

ピカソは生涯に二度、結婚しました。
一人目がオルガという女性で、息子が生まれましたが、だんだん夫婦仲が冷めていました。
そんなときにピカソは17歳の少女マリーをナンパし、不倫に発展しました。
離婚しようにも全財産の半分を持っていかれるため、オルガが亡くなるまで別居していました。
マリーとの間で娘が生まれましたが、母になった途端興味を失い、また写真家のドラという女性と不倫をします。

ゲルニカを制作中、マリーとドラが鉢合わせしたとき、二人は喧嘩になりました。
それをピカソは「面白い」と笑いながら見ているという異様ぶりです。

その後、フランソワーズという女性と不倫をし、二人の子どもが生まれます。
女癖のひどいピカソに愛想をつかしたフランソワーズは、別の画家と結婚しました。
自分から去った唯一の女性に嫉妬したピカソは、裏から手を回して美術界から追放する妨害をしました。

妻のオルガが亡くなり、子どもの認知を条件に、フランソワーズに「再婚しよう」と言いました。
フランソワーズは子どものために離婚しますが、すでにピカソは別の愛人、ジャクリーヌと二度目の結婚をしていました…復讐しようとする嫉妬心、支配欲が強烈です。
最後の女性であったジャクリーヌも最終的には自殺をしてしまいます。

ピカソは容姿端麗で賢かったり、貴族出身だったり、さまざまな女性にモテた魅力のある人でした。
ですが関わった女性は徐々に精神的に追い込まれ、愛溢れる家庭を作ることは難しかったようです。

 

さいごに

二人の巨匠の壮絶な人生、いかがでしたでしょうか。
ゴッホは感情的でちょっと不器用なところがありましたが深い兄弟愛に恵まれ、ピカソも感情的な部分もありますが、論理的に考えられて器用だったから大成功を収められたのだと思います。

一般的にはゴッホは報われない人生、ピカソは成功者で幸せな人生というイメージですが、人の幸せは他人からはわかりません。
そして他人と比べて幸せだと思うことは、他人と比べて不幸せになることにもなります。
振り回されずに、自分の幸せの定義をしっかり持って生きていきたいですね。

■参考:Wikipedia

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